すきなこときらいなこと

日常をそのまま

傲慢な人たち


秋学期から授業毎日割とフルに近く入ってるのがものすごく負担。
そして教室が非常に狭い。
去年までは自由参加だった授業が
今年は出席点が卒業試験の点数に組み込まれることになり、実質出席しなければならない事態に。
教授の授業は専門的すぎて国試にそのまま繋げられない。
もう本当に、この大学の国試合格率下がるんじゃないかってくらい時間を取られててみんな辟易。
そのうち、授業改善のため数名が表立ってくれて、学部の賛成者の署名を集める事態に。
結果、教室がちょっと広くなった笑
え、そっち?笑

 


もう本当に、授業が困ると
その話を彼に電話した時にしてたんだけど、
自分が言いに行けばいいやんとか言われて驚いた。
私がそのようなことをするタイプに思えるか?
何かを改善しようとする勇気を尊重せず、重箱の隅をつつくような批判をコソコソとする人たちを見てそれはできないわ。
今まで授業さいあくーとかいってたのにね。

 

まぁ彼にできたとして、私にはできないことは一目瞭然であってその上でその言葉をかけてきたんだろうから意地悪だよなぁ。
そんな意地悪に本人は気づいていないからタチが悪い。
人にはそれぞれ向き不向きがあって、それを生かしてみんなが感謝しあって補えあえばちゃんと世界はつくられるのに、どうしてか今の世界は一つの事を正しくて一番だと思うんだ。ばかじゃないの。
傲慢すぎる心ない言葉ばかり吐ける人間たち。
そんな人間の醜悪な部分が本当に目につくタチ。

醜悪な部分を持つのは私も例外ではないよ。

しかしどうして自分は他の人とは違って

心ない言葉がここまで真っ直ぐに刺さってしまうんだろう。

そして趣味の悪いことにさらにその言葉で自らを刺す癖がまだ残る。

ここまで人の醜悪な一面に敏感であるということは私はそこから何かを得ようとしているのは間違いないんだろうけど。

でもあまりにキツすぎて心閉じて人と距離を保たないと生きていけもしない。

とても寂しいけど、人といる方が苦しい。

本当に生きるのが苦しい。


まぁ言うなればこう気にしている以上なにか自分に原因があるって事でさ。
嫌んなっちゃうわ。
現実はいつだって中立。
今を形作っているのは他でもない私らしい。
言葉が言葉である以上真理を記すことはできないらしい。
私はその体感をした事がない。

私は真理から遠のいている?近づいている?

より良くなるならいい変化も悪い変化も受け入れるから。
全て手放す準備はいつだってできてるのに。